近代日本の吹奏楽の父 - 2006.07.13 Thu
もうすぐで1ヶ月。
全日本吹奏楽連盟理事長の酒井正幸先生が肺炎で亡くなられたのがフレンドリーコンサートの翌日、6月19日でした。来週で1ヶ月が経とうとしています。
酒井先生と言えば往年の豊島第十中学校着任の際に校長先生から「吹奏楽部をやれ」という一言で楽器を与えられ、その後熱血指導で全日本常勝軍団(全日本17年連続第1位、全日本18年連続出場、全日本10年連続金賞)にまで育てられた名指導者。とりわけ昭和41年の全日本で演奏した「エルザの大聖堂への行列」は今なお語り継がれる名演で、ワーグナーのレガート奏法をマスターし日本の吹奏楽界で始めて確立された豊島のレガートと言われました。
自分も中学時代練習曲として演奏した思いで深い曲で、本当にレガートの難しさに苦労した記憶があります。そのたびに酒井先生の「エルザ」を何度も聴きました。
当時日本の中学校の吹奏楽は今津中・出雲第一中、そして酒井先生の豊島十中が牽引していました。今津の得津先生、出雲第一の片寄哲夫先生、そして酒井先生。この3名の方々は日本の吹奏楽の父と言えるでしょう。
酒井先生には一度お会いさせていただいたことがあります。そのときに仰られたのは「とにかく一般の人を楽しませる吹奏楽でなくてはならない。一般の人に感動を与えるバンドを目指さなければならない。」
私のくますいでの活動の最たる目的はその言葉によるところが大きく、いまもメンバーには合奏のときにはよく言います。
とりわけ2万5千人という小さな町で活動する意義はそこにあると言えるでしょう。
今までお会いする機会があったフェネル博士、ドナルド=ハンスバーガー博士、そして酒井正幸先生。この偉大な人たちから得た財産は計り知れません。
また日本の近年の吹奏楽が以前にもまして街に出て、市民と触れ合う活動が増えてきたのも酒井先生のご指導の成果だと思います。今の吹奏楽の社会における存在がとても大きくなったきっかけ作りをされてきたのです。
酒井先生は豊島十中から赤塚三中に転任され、ここでも全日本出場という偉業を達成されました。そのほか、板橋区吹奏楽団音楽監督(後に顧問)など多方面で活躍されました。
酒井先生が築き上げられた豊島第十中学校は平成16年3月に廃校となり、同校の校舎で隣接の中学校と併合して新しい中学校が開校、さらに今年4月にもう一つ別の中学校と併合し、旧豊島十中の地から別の地へ移りました。
豊島十中のすべての歴史を見届けて安心して旅立たれたのかも知れません。
ご冥福をお祈りいたします。
では。
がくちょう
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